【地獄楽】山田浅右衛門に女性はいたの?明治時代の動向や子孫は現在いる?

地獄楽に登場する山田浅ェ門(やまだあさえもん)には、佐切や威鈴といった女性キャラが登場します。

ではモデルとなった史実の山田浅右衛門には、女性はいたのでしょうか?

また、山田浅右衛門は江戸が終わり明治時代になってから、何をしていたのかも気になるところ。

子孫が現在いるかも気になりますね。

今回は史実の山田浅右衛門に女性がいたのか、明治時代の動向や子孫が現在いるのかを解説していきます。

女性から見た山田浅右衛門について解説

地獄楽の山田浅ェ門のモデルとなった「山田浅右衛門」について、女性がどのような立ち位置に置かれていたのかをご紹介します。

※参照:地獄楽のキャラクターを一覧でまとめ!登場人物の年齢や身長誕生日も解説

山田浅右衛門の歴代当主に女性はいない

江戸〜明治時代を通して、山田浅右衛門は9名の当主がいました。

しかしその全てが男性であり、女性当主は存在しません

また、「地獄楽」と同様、史実の山田浅右衛門は弟子を抱えることはあったものの、この中に女性剣士がいたという記録は調べる限りでは見つかりませんでした。

山田浅右衛門が取る弟子の特徴としては、大名の家臣やその関係者、徳川幕府に直に仕えた旗本(はたもと)や御家人(ごけにん)と呼ばれる人が多かったようです。

こうした人々の(ほぼ)全ては、恐らく男性だったと思われます。

女性に武芸を教えていた山田浅右衛門はいた?

なお「地獄楽」の作中には、山田浅ェ門威鈴(いすず)が幕府の別式(べつしき)として働く場面が描かれています。

別式とは幕府や藩の奥(大名の妻子や彼らに仕える女性が住んでいる場所)で、女性に武芸を教える役職のこと。

別式を努めた女性は勇ましい風貌をしており、アイブロウもせず、着物を引きずらない凛々しい体格をしていたようです。

こうした点が、威鈴のキャラ設定に活かされた可能性はありそうですね。

※参照:地獄楽の世界観や元ネタが難しい?モデルやタイトルの意味について

ただ、山田浅右衛門の歴代当主やその関係者が女性に武芸を教えていた記録については見つかりませんでした

史実の山田浅右衛門は刀剣の鑑定や医薬品の製造といった仕事は行っていたようですが、教育面には手を伸ばしていなかったようですね。

自分の娘を後継者に嫁がせた浅右衛門はいた

一方、歴代の山田浅右衛門の中には自分の娘(養女)を後継者に嫁がせた者がいます。

7代目当主の吉利(よしとし)の妻は、6代目当主の吉昌(よしまさ)の養女・幸です。

「地獄楽」の作中では、佐切が山田浅ェ門源嗣(げんじ)から「女には次期当主と結婚する務めがあろう」と言われる場面がありますが、この吉利の事例が元ネタになっているのかもしれません。

また、娘の嫁ぎ先から養子となって当主となった者として、5代目当主の吉睦(よしむつ)が挙げられます。

これらの事例を鑑みると、山田浅右衛門家にとって女性(娘)の存在はそれなりに重要だったように思えますね。

明治時代の山田浅右衛門の動向について


江戸時代を通して処刑人としての役割を果たした山田浅右衛門ですが、明治時代には何をしていたのでしょうか

明治期の浅右衛門について見ていきましょう。

7代目 吉利の代に明治時代が始まった

明治時代がはじまった1868年の当主は、上で挙げた7代目の吉利(よしとし)でした。

吉利は幕末の将軍後継者問題の中でおこった安政の大獄(あんせいのたいごく)で、吉田松陰や橋本左内の処刑を行ったことで知られる人物です。

1868年5月、吉利は「市政裁判所附」という役割を与えられています。

今でいう裁判所の補佐係といったところでしょうか。

その翌年、吉利は山田家に伝わる名刀「備前長船景光(びぜんおさふねかげみつ)」を宮内庁に献上しています。

一説には明治天皇が買い上げたとも割れています。

同年、吉利は隠居し、山田浅右衛門の当主を長男の吉豊(よしとよ)に譲りました。

8代目 吉豊の時代に試し斬りと医薬品の製造が禁止された

8代目吉豊の時代の1870年、山田浅右衛門家は2つの大きな収入源を無くすこととなります。

1つ目は試し斬りの禁止

これは刀の切れ味を確認するために死体を使用して行っていたもので、江戸時代に「御様御用(おためしごよう)」という役職に就いていた山田浅右衛門家が行っていた仕事でした。

山田浅右衛門が死刑執行を担うようになったのは、この試し斬りの腕が買われた為だと言われています。

もう1つは医薬品の製造

山田浅右衛門家は扱った死体の脳や肝臓、胆のう等を原材料として薬の製造を行っていました。

こうした薬は「山田丸」「浅右衛門丸」などと呼ばれており、山田浅右衛門家はこれらの薬の販売で莫大な収入を得ていたと言われています。

これらの事績は、地獄楽に登場する山田浅ェ門付知(ふち)のキャラ設定に活かされたのでしょうね。

吉豊は1874年に斬(首切り)役を解かれ、その8年後に父の吉利に先立って亡くなります。

吉豊の弟・吉亮の代に「人斬り」山田浅右衛門は消滅

吉利に代わって首切りの仕事を行っていたのは、彼の弟の吉亮(よしふさ)でした。

吉亮は大久保利通を暗殺した島田一郎や、女性死刑囚として著名な高橋お伝の処刑を担当します。

しかし1880年、刑法の改正により死刑方法が斬首から絞首刑に代わったため、「人斬り」としての山田浅右衛門家の歴史的意義は消滅したと言えます。

翌1881年、吉亮は岩尾竹次郎、川口国蔵の2名の首切りを執行。

これは日本最後の斬首刑の事例であり、また山田浅右衛門家による最後の「首切り」となりました。

その後、吉亮は市ヶ谷にある監獄の初期係となるものの翌年には退職。

その後は刀の鑑定や俳人として活動し、1911年に四谷の床屋で亡くなったと言われています。

明治が終わり大正が始まるちょうど前年の出来事でした。

山田浅右衛門の子孫は現在でもいるの?

山田浅右衛門の子孫は現在でも残っているのでしょうか。

8代吉豊の死後、長男の吉顕(よしあき)が「山田浅右衛門」を襲名。

9代目を名乗ったものの、時代も明治から大正に変わり「人斬り」を行う事はありませんでした。

その後の山田家は嫡流が絶えてしまい、直系の子孫の方は現在いないようです。

1938年には、山田浅右衛門の研究者が7代吉利の孫娘のもと、池袋西口にある祥雲寺(しょううんじ)に山田浅右衛門を称える石碑を建立しました。

この碑には「明治になり跡を継ぐものも絶え」と記されており、歴史的使命を果たした浅右衛門のその後を表していると言えます。

ちなみに祥雲寺(しょううんじ)には7代吉利や8代吉豊の墓もあります。

一方、「山田浅右衛門」という家はもともと養子に継がせるのが慣例としてあり、かつての当主の血を引く方は現在も残っている可能性はありそうです。

Twitterにも浅右衛門の血を引いていると述べられてる方がいるようです。

また2017年に放送されたラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」では、山田浅右衛門の子孫を名乗る方が出演されていた事がありました。

女系も含めると、「山田浅右衛門」の歴代当主の子孫は現在でも一定はいると言えそうですね。

まとめ

地獄楽に登場する山田浅ェ門(やまだあさえもん)のモデルとなった「山田浅右衛門」について解説しました。

まとめると、以下のようになります。

山田浅右衛門の歴代当主や弟子に女性は存在しない。
自分の娘を弟子に嫁がせ跡を継がせた事例はある。
明治になると、試し斬りや医薬品の製造が禁止され、収入が激減した。
斬首刑も廃止され「人斬り」としての役目も終えている。
直系の子孫は現在にいないものの、歴代当主の血を引く方は少なからずいると思われる。

刀剣の鑑定、試し斬り、死刑執行、医薬品の製造など、様々な仕事を行っていた山田浅右衛門。

こうした設定は、「地獄楽」の山田浅ェ門のキャラ設定にも多くの部分が応用されています。

今で言えば幅広いスキルを持っていた一族と言えそうなだけに、直系の子孫が現在残っていないのは勿体ない気もしますね。

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